2017年11月13日

高野山行中記 序 −平凡に生きたい− その1

高野山行中記 序
−平凡に生きたい− その1

 私の亡き母の口癖は「平凡に生きなさい。」でした。非凡さで周囲を驚かせた幼少であったのでしょうが、天命を知る世代になりますと変わり者の人生で終わってしまうのではないかという神仏への怖れが起こり、母に申し訳ない気持ちでいっぱいになります。亡くなる間際に私の瞳をじっと見つめ、「きんちゃん、宜しく頼みますよ。」と呟いた言葉には、父母が歩んだ人生のように、平凡な職業につき家庭を持ち子育てをして、ごくごくありきたりの慎ましい人生を送りなさい、祖父母や父母が築いてきた家庭を継承しなさい、という最期の愛情が篭っていました。あの母の瞳を思い出すたびに派手な人生を自省する毎日でございます。

 この本の内容は平凡な経験談を語る意図であり、読者の皆様のそれぞれの人生がつつがなく平凡ながら幸福につつまれた世界にオンリーワンの貴重なものであって欲しいとの思いから、私の高野山での体験をごくごく普通の俗人の視点から書いてみたものです。そうです。今の日本社会で最も大切な生き方、それは「ごくごく普通の生活」、「平凡な生活」だと痛感しております。

 高野山で修行する僧侶たちはスーパーマンのように法力を使いこなし、体力、知力、人脈力、あらゆるものに優れた特異な人たちであるとの誤解を解くために、あえて体験談の出版に踏み切ったと言っていいでしょう。そこで出会った人々も親がいて恋人や妻がいて子供がいる普通の家庭人ですし、人と人の感情のやりとりの中で生きているのです。

続く−

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2017年10月28日

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2017年10月09日

東京研修会

東京再発見の旅

去る9月25日〜27日、高野山真弘法会の東京研修会が無事修了いたしました。
今回は皇居特別参観があり、身分チェックがあるということでいささか緊張しましたが、落伍者もなく全員参観コースを歩き終わりました。

高野山東京別院での法話は、高野山真言宗教学部次長の丹羽先生、東京別院主監の広瀬先生(高校野球甲子園ベスト4まで導いた名監督)による情熱のこもった内容でした。感動致しました。事相伝授は教学部長橋本先生による施餓鬼次第、延命秘宝でした。諸先生に感謝申し上げます。

会員の皆様には、全国廿浦浦からお出かけいただき、誠にありがとうございました。会長としてまだまだ不慣れで行き届かない点多々ありますが、どうぞお許し下さいませ。皆さまの御協力ご誠意に厚く御礼申し上げます。

東京の寺院参拝としては、川崎大師の不動護摩内陣に参列させていただき、また諸堂のご案内を受けました他、高輪の高野山東京別院本堂にて、参加者全員で勤行を修しました。会員相互の懇親会としては、豆腐の老舗である根岸笹乃雪での昼食会など、楽しい時間を持つことができました。写真の一部は、常任理事の岩手県石田先生から送っていただきました。ありがとうございました。

なお、高野山真弘会とは、僧侶得度者であり、かつ権教師講習会を修了して、受明灌頂を授かった権教師以上の者が参加資格を有します。詳しくは高野山本山の大師教会本部にお尋ね下さいませ。 

川崎大師.jpg  川崎大師護摩.jpg

宮内庁.jpg 笹の雪.jpg 

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2017年08月12日

AI囲碁に勝利!

 人類最後の難関ゲームと言われた囲碁において、AIが人類に勝つ時代が到来しました。AI対戦譜研究が進み、プロ棋士同志の対戦でもその戦法が使われて研究されるようになり、さらには囲碁教室でもAI囲碁ソフトを積極的に活用する先駆的な囲碁教師が出始めております。

 私はもともと工学部出身でコンピュータプログラムの基礎教養は習ってきましたので、AIとの対戦やAIプログラム研究は違和感なく取り入れております。函館未来大学の松原仁先生(人工知能学会の前会長)の研究室の実験協力もしました。(指導碁におけるコミュニケーションの研究とのこと。)最近は教室の生徒にもAI対戦ソフトを貸したり贈ったりして、生徒の中にはAIとの対戦を練習に取り入れる子も出始めております。

 現在市販のPC用AI囲碁対戦ソフトでは、天頂の囲碁バージョン6がアマチュア七段くらい、銀星最新版がそれよりやや強いというか、人間の感覚に近いという評価で、PC用AI囲碁はとても強いです。天頂の囲碁は昨年のコンピュータ囲碁大会で世界一になった日本製DEEP-ZEN碁の市販版ですが、今年は中国製の絶芸が世界一になりました。銀星はこの絶芸の簡易版です。つまりは、AI囲碁の大会では、中国対日本の壮絶な競争となっております。欧米ではCrazy Stoneが2014年世界一になっていますし、Facebook社も参入予定だそうです。それを遥かに凌駕するところに米国グーグル社のAI囲碁であるAlpha碁があるわけなんですが、もともとは囲碁専用ではなくして、自動運転など多用途のプログラムの実験として囲碁対局を試みたものですから、PC版の囲碁対局汎用品を出す予定もなく、また世界No.1の棋士を4連勝で破ったり、世界のトップ棋士たちに60連勝したりしたものですから、これ以上のプロ棋士との対戦イベントはしないそうです。ちなみにAlpha碁で使用するコンピュータの台数は一般ビルの3〜4フロアー分くらいになるそうですから、PC用市販版の規模とは違います。

 さて、私と天頂の囲碁6との対局棋譜ですが、昨日、ついに互先にて勝利しましたので、記念に掲載致します。最初は3子で勝つことから始めて、2子でも勝てるようになり、先週についに先で勝ちました。互先では負ける目数を減らす戦法を見出す研究に没頭しました。対局を繰り返す中で、コンピュータの布石を色々試して形勢判断を繰り返し、あるいはコンピュータの大石を取ったりして(天頂の囲碁は時々大石が死ぬ弱点があります)、ついに勝利に至りました。紹介した棋譜では、最後に大石がコウになりましたが、ここをコンピュータが守ったとしても黒の私が10目ほど勝って終了します。つまりは、市販のPC用AI囲碁はクセがあるということです。Alpha碁にもクセや弱点があると言われていますが、こちらが研究するとあちらはケタ違いに早く学習しますので、弱点を見出して一回だけ勝つということができるかどうかは、かなり難しいように感じております。

 つまりは、これからはAIからどう習うかというスタンスに変わるように感じております。もちろん、今の段階では反論も多々あるというか、むしろAI囲碁を上手に活用できる人はごく少数です。生徒の父兄からは、「良い人間関係を作り、人生を学ぶために囲碁を習わしているのに、なぜ子供が機械と対局する必要があるのですか?」、「家でTVゲームばかりしているからこそ、囲碁で人間同士で打たせたいんですよ。機械とやるんじゃ囲碁やる意味がないですよ。」という素朴な疑問を投げかけられることが多く、「その通りですね。」と言うしかありません。したがって、AIと人間の関係を模索して新しい道筋を創り出せるかどうか、それは多くはコミュニケーションのあり方かな、ということだと感じおります。

 とにもかくにも、最強者を競うならばコンピュータに人間(プロ棋士といえども)が負ける時代になってしまった以上、プロであろうとアマであろうと、大学生であろうと小中高学生であろうと、最強者を競う競技大会では、コンピュータから教わった生徒が勝ってしまうという「藤井聡現象」が起きることは必定と考えられます。このことをどう捉えるかは、教育や育児の在り方とも関わりますので、まだまだ結論の出ない試行錯誤が続くと思います。

天頂棋譜.gif

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2017年07月10日

懐かしの定山渓鉄道

「むかしむかし定山渓鉄道が走っていたころのおはなし」

第10回 「昭和30〜40年代の定鉄石切山駅周辺の街並み
〜旧石山郵便局に生まれ育って」

お話し  岩本欣也
7月30日(日)午後1時より
藤野地区センターにて

主催 藤野地域に図書館づくりをすすめる会

後援 藤野地区町内会連合会、藤野中央商工振興会、株式会社じょうてつ
札幌中央信用組合藤野支店、札幌市農業協同組合南支店

協力 日光広告株式会社、北海道札幌南陵高等学校

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2017年04月04日

さわやか囲碁レッスン

遠藤悦史先生 来る!

去る4月1日(土)、岩見沢より遠藤悦史七段(日本棋院東京本院所属)が石山囲碁道場に来訪しました。子供囲碁教室生徒を中心に指導碁を打ち、対局風景、集合写真などが雑誌「囲碁未来」(7月号予定)に掲載される予定です。

子供たちは一所懸命に指導碁を打ち、対局後は隣の歴史遺産建造物「ぽすとかん」(旧石山郵便局舎)にて、トランプやベイブレードをして遊び、夕食会で懇親を深めました。

集合写真.JPG  懇親会.JPG

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2017年02月02日

小説『幻庵』上巻 読中感想

小説『幻庵』上巻 読中感想
現代日本文化の源流/江戸時代の家元制度の追体験記

 百田尚樹の小説『幻庵』は、「週刊文春」2015年1月1・8号から2016年11月10日号まで連載したものに加筆した作品である。囲碁ファンにとってはたまらない江戸時代囲碁界の追体験ドキュメンタリーと言ってよいし、現代日本文化の源流として、家元制度とは本来どういうものであったかを知るには絶妙の教養書である。

 何より囲碁対局の描写が棋譜や解説を交えて丁寧であり、さながら対局中継を見ているかのようである。膨大な量に上るこの時代の対局棋譜と解説書(幻庵著『囲碁妙伝』、丈和著『国技観光』、『坐隠談叢』等)を百田が詳細に調査し、プロ棋士に取材したコメントもふんだんに記載されている。この時代の日本囲碁のレベルは発祥の地とされる中国を遥かに凌駕しており、囲碁は寺小屋(義務教育)の教科であり、国技だったのである。

 上巻では、幻庵の師匠服部因淑と丈和の師匠元丈の全盛期の物語から始まり、やがて入門してくる天才少年吉之助(後の幻庵)と遅咲きの松之助(後の丈和)の生い立ちやライバルたち(奥貫智策、桜井知達ら)との葛藤が描かれ、両人がそれぞれ井上家、本因坊家の跡目を相続して御城碁に出仕し、初対戦するまでのストーリーが展開されていく。日本囲碁史には好勝負を演じたライバル関係の碁打ちは数多くいるが、幻庵と丈和ほど、闘志と敵意をむき出しにして戦った二人はいない。

 江戸時代の碁と現代の碁が決定的に違うのは、持ち時間である。家元の碁打ちたちは碁を芸とみなしていたから、「時間」に制約をつけるようなことはしなかった。正確な時計がなかった事情もある。だから難しい局面では、いくらでも考えることが許された。現代のトップ棋士たちが江戸時代の高手の碁を見て、「とてもこんな碁は打てない」と嘆息することがあるのは、そのためである。特に自分の人生を賭けた一局、家の名誉を賭けた一局では、負けたくない一心で考えに考えることがよくあり、打ち掛けにして食事を取ったり、翌日以降に持ち越すことがよくあった。

 上巻での最大の天王山は、文化十二年(1815年)1月8日、稲垣有無翁宅で打たれた葛野丈和と服部立徹(後の幻庵)の一局である。著者の百田は、この碁を二人の明暗を分けた大試合であったと評する。丈和が負ければ本因坊家跡目の道が途絶え、本因坊家の跡目として立徹(後の幻庵)養子入りが最有力となり、賭け碁打ち(現代のホームレス)に陥落するかまだ踏みとどまるかという人生最大のピンチのカド番であった。序盤に失敗した丈和は考えに考え抜いてチャンスを待つ。もう人生のトドメを刺されるのを待つしかない形勢であったが、ここで立徹の油断により大失着が出てしまう。立徹自著『囲碁妙伝』では、「今川義元の油断に彷彿たりというべきか。笑うべし。笑うべし。」とある。まさに桶狭間である。この碁に大逆転勝ちを収めた丈和は、なんとか持ちこたえてやがて立徹に勝ち越し、本因坊家跡目の許可を得るのである。そして天才立徹には井上家養子入り跡目相続の話が舞い込む。こうして両名とも家元となって、初めて御城碁に出仕する。ここで上巻は終わるが、ここからが二人の死闘の始まりなのである。

(下巻に続く)


幻庵表紙.jpg
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2017年01月28日

トランプ大統領 考

トランプ大統領 考

会う人ごとにトランプが嫌いとか怖いとか、日本に不利益となるとか、トランプ新大統領の評判が悪い。アメリカでの支持率は45%しかなく反トランプ派による嫌がらせが絶えないようである。

日本車が売れるのはアメリカのユーザーが好んで選ぶからであって、それを悪とするならば、購入したアメリカ人を批判すべきであって筋違いも甚だしいという意見はもっともだと思う。また、日本でアメリカ車が売れないのは、大型車は日本の狭い道路では運転しにくいからであって、日本の事情に合う商品開発をすれば良いだけのことであり、BMWのように外車でも売れている車があるのに、日本市場の閉鎖性を根拠に批判するのは時代遅れも甚だしいという意見ももっともだと思う。

しかし、それではお互いにすれ違い日米の関係は悪化するばかりである。もう一歩引いて、なぜアメリカ人(トランプを支持する主に白人労働者層)がそのような日本嫌いになったのかを、彼らの立場になって考えてみようではないか。

想像してみよう。自動車の工場が立ち並んで栄えてきた自分の町が廃墟になり、今では誰も住まなくなったという情景を。ふるさとを失った人々の思いを。自分たちの作った車よりも外国(日本)の車を買うアメリカ人が増えるのを、失業して見つめてきた日々を。

その車はユーザーの使い勝手が良く、燃費が良く経済的であり、かつ環境に優しい。日本人はお金になることには優れて利他的であるが、儲けた後は自国の家族本位で、アメリカ人の家族のことなど知らぬ顔の連中である。つまりは使い勝手の良い鉄箱をアメリカにたくさん持ち込んで道路を満たしたのちには、アメリカの富を自国に持って行き、アメリカ人の文化がどうなろうと関係のない人々なのである。

一方アメリカ人はというと、日本文化をどれほどアメリカに受け入れて許容してきたことか。どれほどアメリカという国が他国にオープンであったことか。これではまるで泥棒たちに通行許可を与えてきただけではないか。いや泥棒というほど日本人はマナーは悪くない。むしろ最高級のマナーを持った連中だ。だからそれは詐欺というべきか、日和見で従順なルーピーというべきだろう。一見良心的に見えるからタチが悪い。結局は相手の心に入りこんでくる。まるで隙がない。でも結果から見ると見事に稼がれてきたし、アメリカの自動車産業は壊滅させられてきたのである。

文化の違い、肌の違いとも言える。であるならば、アメリカはもっと自国民の文化を大切にしようではないか。こう思うのは当然の流れだ思う。

もう一点、日本人が気付くべきこと。アメリカ人から見ると、中国人と韓国人と日本人の気質は近く感じるということ。さらには、エイジアンというひとくくりで見るとき、イスラム圏すらエイジアンであるということ。この感覚を理解すること。日本人にはぞっとする話だけど、これが現実だというところから考えてみましょう。

でも、考えてみてごらん。日本人はTPPに反対したり不安を語っていたじゃないのかな? イラク戦争への自衛隊派遣に不安だったのじゃないかな? 対米従属が行き過ぎていると感じてきたのじゃないかな? 今まで日本人が散々、アメリカの行動や国内がアメリカナイズすることを行き過ぎだと感じてきたはずですよ。そのことはアメリカ人自らも逆の立場で「何かがおかしい。」と感じていたということ。

「今までが行き過ぎていた。」という観点からトランプ大統領を見つめ直すと、これからは日本にとっても、日本人にとっても悪いことばかりじゃないと、私は思うよ。

さらに今年は、フランス大統領選挙、ドイツ首相選挙があります。イギリスのEU離脱もあり、ヨーロッパの動向が注目されます。


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2017年01月03日

謹賀新年

明けましておめでとうございます
今年も穏やかで健やかな一年となりますように
お祈り申し上げます

合掌

平成二十九年 丁酉  


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2016年12月02日

小学校のタブレット授業

日常に感ずる未来縮図

小学校のタブレット授業


小中学校の初等教育におけるICTの導入については、文部科学省、総務省が率先して一人一台(PC、iPAD)を採用する自治体が出てきているようです。あるいは、コンピュータ室を持つ小中学校が出現し、民間企業と連携した実証試験授業が各校で繰り返されているようです。高校、大学や学習塾、予備校でのICTの活用は進んでいるものの、初等教育では教師と児童の対話の重要性が高く、まだまだこれからというところでしょう。

ICT技術は具体的には、画像や動画を用いる科目、音声を用いる科目、動きを伝える科目などに適しており、算数(図形)、英語、物理、生物、宇宙天文、地学、地理、音楽、美術などでは実用化も部分的に進んでいるようです。一方では、紙書き単純計算練習や板書などの労力節減やミス防止などでも効果があると個人的には思います。やがては手書きノートの時代は終わるのでしょうか? 書道や習字など文字を書くという文化、すなわち紙の文化が衰退するのでしょうか? 漢字書き取り練習は将来も継承されるでしょうか?さらには手書き回答型のテストは無くなるのでしょうか?

私個人としては、現在の幼稚園や小学校授業を体験しておりませんが、公文塾会場を18年間開いてきた経験もあり、囲碁レッスンにおいては、幼稚園児、小学生と延べ200名以上と30年間接してきておりますし、現在ではインターナショナルスクール(海外授業)生徒と接しておりますので、自分なりに感じていること、考えていることを以下にまとめてみました。(公文や囲碁のPRも含まれている点、ご勘弁下さい。)

公文塾では、小学校での英語授業開始を見据えてeペンによる英会話テストをいち早く導入して好評を得ています。ペンを耳にあてると世界標準の英会話が聞こえますので、それを聞いて発声したり、質問に答えたり、書き取ったりします。日本人教師の話す英語では海外では訛り言葉になってしまうこともあり、あるいは欧米人教師の英会話に慣れたとしても(日本人の英会話よりはマシでしょうけど)、英米豪欧など地域や国によりイントネーションがかなり違うために、標準英語会話(英国標準)に接するのはICTが最も適している事例であると言えます。

囲碁においては、日本棋院が学校普及事業(現在では親子伝統芸能教室事業)のためにタブレットやiPAD、スマートホーン用のアプリ「囲碁アイランド」を開発して提供しており、誰でも手軽にタブレットレッスンを受けることができます。現在は幼稚園年中、年長の幼児への囲碁入門に利用しており、生徒たちはたちまちに夢中になります。石を取り上げる動きと、正解の時のアニメ、誤答の時のアニメが面白いようです。大人でも夢中になってしまいます。ゲームの画像の動的な動きの表現はタブレット授業には効果的です。これがあると入門初級者向けの囲碁教師が失業してしまうのではないか? あるいは人間がやる囲碁レッスンの回数が減り、すべてタブレット授業でいいのではないか? という懸念もあるわけなんですけど、そうはならないのは、タブレット授業ではできないものがあるからなんでしょうね。AI相手の問題回答や対局と人間相手の問題回答や対局では、決定的に違いがあるからなんでしょう。そこのところを最近探っていくうちに・・・・
ついに、気が付きました。


「意思がない。」(石との洒落ではないですけど・・・)

これに尽きます。逆に言いますと人間が正解を得ようとしたりゲームに勝とうとするのは意思があるからなんです。人間の感情をAIが表現したり理解したりすることは可能なのは凄いことですけど、根本にある意思が現状の第三世代AIではないことが決定的に違うんですね。

哲学的には「主観的思考がAIにできるか?」ということだと学びました。


つまりは、人間教師がやる授業には意思があるから違うんですね。AIやICT授業は便利で感情的にも楽しくて効果的なんですけど、何のために学ぶのか? 何のために勝ちたいのか? 何のために優れた人になりたいのか? その動機たる意思は、人間にしかないですし、人間同士ならではの動機付けがあるんですね。仏教でいう因果因縁ということです。キリスト教でいうと「愛」ですね。

機械にはそれがない、というか機械ならではの動機や意思はあるんですけど、そこが人間とはあまりにかけ離れているのです。すなわち機械やAIの持つ動機や意思とは、電池が切れたとか、プログラムが35階層だとか、枝分かれが1憶通りだとか、そういう条件づけという因果因縁なんですね。その大本を人間が条件づけしています。もちろん条件付けする人間がAIの出した知見に影響を受けているとしたら、そこには人間を介した機械同士の因果を含む現象が起きていくことも否定できません。そして、やがては人間を介しない機械だけの因果が出来上がってしまうのではないか?  その因果が人間には理解できなくなるというシンギュラリティ問題があって、だから人類を滅ぼすと危惧するホーキング博士のような天才の警告もあるわけなんです。


もちろん、人間の主観とは何か? という哲学的問いも文明が始まってからずうっと考えられて続けられているので、主観の定義がAIによって変わる時代も起こりうるのかもしれませんし、その前に人類はAIのスイッチを切ってしまうのかもしれません。



原発とAIがとても似ているのは、便利で優れているために、依存してしまうと辞めることができなくなってしまうということです。例えば、原発を廃炉にするにしても核燃料の処理処分ができない状況ですとか、AIが動かいないと治療中の患者が死んでしまうとか、交通がマヒするとか、そういうレベルまで科学文明に依存してしまいますと、スイッチを切るのもイバラの道になりかねません。

最も怖いのは、スイッチを入れたままでも滅亡の道、スイッチを切っても滅亡の道というところまで依存してしまうことでしょう。

スイッチを入れるのも切るのも人間の主観ですね・・・・。

取り留めのない雑感で失礼しました。
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