
先週上京して、東大の赤門学友会事務局にご挨拶に伺いました。学科、運動部、地域と三つの同窓会に所属しているので、それぞれの同窓会活動について事務局長はじめ諸氏と色々と雑談しました。東大の運動部というのは日本では創立が古いものが多く、レベルの高いものが多かったという話になりました。明治以降、日本に西欧スポーツが普及する中で、大学運動部としては先駆け的なものが多いためです。
その後、在東京の同窓会二つに参加し、深夜まで旧交を温め、各界のサブリーダークラスの友人と情報交換をする機会を得ることができ、今年夏の政権交代以降の日本の現状を考える機会となりました。また、在東京の高野山ファンの同志と交流することができ、とても楽しいひとときを過ごすことができました。現在日本に必要な理念や思想について、考える機会となりました。
少しゆっくりと時間をかけて、日本の未来について良い考えをまとめる必要があると感じております。いくつかのポイントを絞ってみましょう。
(1)日本人の現代思想、宗教観
明治期の福沢諭吉、昭和戦後期の丸山真男は、近現代の日本思想の支柱となったと思います。今年の政権交代は丸山真男思想による民主主義の理念が遅れながら出た結果とも言えますし、それは、左傾化である、あるいは社会主義的である、という不安も現実に不景気となって増長してきています。福沢史観は国学と儒教を基本に西欧化(文明開化)を目指す道を示しました。その後、伊藤博文によって西欧流一神教を模擬した、大教宣布、教育勅語制定によって、国家神道という天皇一神教への道を歩むことになりました。それが太平洋戦争による敗戦によって、GHQ占領下に徹底的に解体され、アメリカ型民主主義憲法が根付きました。その後、55年体制という日米同盟と左翼イデオロギーの対立の中で、日本は自由主義陣営の中で発展してきましたが、それを支えた基本思想は、日本の伝統的な仏教、儒教などの古層を有するマルクス的社会科学思想、西洋哲学的科学主義などの複雑に混合したものであったと思います。
1985年のプラザ合意以降、変動為替相場制となり、日本は国際経済の一員として歩みはじめ、円高→コスト削減とイノベーション→外需景気、の循環の中で創意努力によって、国民生活を支えてきたと思います。それが小泉内閣の頃から中国が台頭し、国内産業の空洞化が進み、一方では豊かになる人と一方では貧困に苦しむ人の格差がはっきりとしてきました。
この間を支えてきた、日本人の思想は、東洋思想と西洋思想の融合化傾向の中で、東洋の尊厳としていくつかの思想を選択する勢力に分かれていったと思います。仏教では、密教を選ぶ人、法華経を選ぶ人、浄土教を選ぶ人、禅を選ぶ人、また一方で神様として、神道を選ぶ人、キリスト教を選ぶ人があったと思いますし、科学信仰や自然信仰、西欧哲学、東洋哲学などが渾然とした時代であったと思います。
私はここで、仏教の説く空性というもの、すなわち無という価値観、と神を信じる有という価値観の関係をしっかりと整理する時期に来ていると思い、色々と書物を読んでおります。政治や外交軍事では、やはり強い有的な思想が先頭に立たなければなりません。有が輝いてこそ、空性という柔軟性が多様な色彩に満ちた豊かなものになってゆくと思うようになりました。弘法大師空海というと平安仏教というジャンルですし、密教というジャンルになりますが、その膨大な書物には、普遍的な思想があふれています。有と無の多様性を曼荼羅という因果因縁の中で融合させています。個性というものを大切しつつ、かつ多様な個性のご縁のあり方を見事に説いていると思います。
そんな思索を進めております。
(2)国際関係について
国益という言葉がありますが、最近は地球益という言葉もできました。家族益もありますし、個人益もあります。日本人は、民族単一性や家族制度、島国育ちという条件から、内部益から考える特徴があります。ところが、世界のほとんどの国は陸続きの国境を有しますし、多民族国家がほとんどです。ですから、日本人の外交感覚は、まず国内世論の合意から入ります。国内で納得した後は、他国のことまで考えが及ばない特徴があります。外交を他人の家を相手にするような感覚で考えると、そこには、国益という内部志向や対立感が強くなる傾向があります。
西欧諸国は、過去に悲惨な歴史の教訓から、外交という場合は、まず相手国の立場を知ることから始めます。ここに大きな相違があります。これは宗教が違うということと分けて考える必要があると思います。
最近の対米関係について、米国相手の場合は、契約を裏切ると信頼を損なうと主張してきましたが、キリスト教の基本として契約は絶対であるということを言ってきたつもりです。契約を変更することも可能ですが、その場合は、責任を持って代替案を作って示すことが常識です。この主張をしたら、「米国追従」、「被虐史観」という古いレッテルを貼られてしまいました。まず、米国にNOをつきつけたいというのは、日本人的価値観としては理解しますが、米国人から見れば単なる裏切りになります。本当に自立国家を目指すのであれば、相手にNOを言うよりも、別の契約案を示すというのが強い国家のすることであり、さらに言えば、相手国民の世論を味方にすることが大切になります。ここまでできてこそ、本当の強い日本であるという、もっと先の思想で言っているつもりです。仏教僧侶から見ると、キリスト教との対等な連携協調は十分に可能です。仏教僧侶だからキリスト教のことを知らないというよりも、仏教を学んでいるからこそ、キリスト教徒と信頼関係を築けるものだ、という点も、少し文章として整理する必要があると思っております。それは、韓国で盛んな統一原理とは違います。教理を混ぜても意味はありません。共感や協調のあり方が大切だと思っております。
(3)プロブレム思考とソルーション思考
最近、高野山大学の同窓である橋本文隆氏から「ソリューションフォーカス」について、いささかの教えを受けました。どんな時代にも、どんな組織にも、どんな個人にもプロブレムがあり、それを解決したいという状況があります。その場合、戦後行われてきた手法は、プロブレムの分析にありましたが、それがあまりにも複雑化した現代では、ソリューション側から考えることの方がより有効であるという、密教的視点と類似するもので、とても興味を持ちました。プロブレムに対処する人間には三つのタイプがあるようです。
@プロブレムを徹底的に分析するタイプ
Aプロブレムの中にあるソリューションのリソースに的を絞るタイプ
Bプロブレムなど元来ないと考えるタイプ
私は基本的にBですが、場合により@もAも使い分けます。Bの立場からプロブレムにコメント発信すると、よく誤解を受けるものです。この場合は「余分なことをしない」ということが実は最も有効であるようです。しかし毎日が至福でノープロブレムという人は、この世におりません。いたとしたら単なる楽観論者か仙人のような隠遁者でしょう。プロブレムが発生した場合の対処として大切なのは、これまでうまく行ってきた成功リソースから考えるのがポイントです。この「ソリューションフォーカス」の考え方は、真言密教の思想に類似し、日本の未来を考える場合に有効だと、最近思っております。
posted by きんちゃんブログ at 16:41|
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