ここ1週間、プロ棋士の先生は落胆と感動を繰り返しつつ、リベンジに燃える先生と、そんなの人間の囲碁には関係ないという先生に分かれているようですが、日本棋院での話題はどの先生もこれに尽きるようです。じり貧ぎみだった日本囲碁界にとっては宣伝効果抜群で、これほど囲碁に関心を集めたのはヒカルの碁以来10数年ぶりじゃないでしょうか。韓国でも視聴率は野球中継の1.5倍もあったという記事もありました。
それ以上に驚くべきことは、韓国の棋士を日本人や中国人がこれほど応援したのは、近年なかったのではないでしょうか? ここ数年日中韓のライバル争いが熾烈でしたからね。相手が英米だったからでしょうか? アヘン戦争か黒船襲来かということで、東アジアが団結したと言うべきか? いや待ってください! このプログラム製作者もアジア系の人なのです! つまりは人類対機械の構図、もっと言えば人類対エイリアンみたいな構図で、人類が危機に瀕して一致団結したという感動なのでしょうか? プロ棋士の中には敗北のくやしさの涙もあったことでしょうが、それ以上に人間として連帯しようという愛の心も芽生えたようです。大熊先生は、アルファ碁にマザーテレサのような慈愛を感じたらしいです。そうですね。囲碁の強さに関する個人的競争心をチームとしての団結心に変えてくれたマザーの愛ですよね。
でも我々人類の敵は一体何なんでしょうか? コンピュータを不気味だと感じるコメントをたくさん目にしますが、それは単なる機械で、それを作ったハスピス氏も慈愛ある人間です。「地球環境問題解決やガン治療に応用したい。」とおっしゃってます。何が怖くて、不気味で、何が知能競争の敵なのでしょうか?
そうです。その敵とは、私たち人間が競争に負けた過去の悔しさという感情を累々と蓄積することなのです。悔しさの蓄積という亡霊と戦っているのです。囲碁以外の分野まで普及すると、その敵とは人間の欲、煩悩、原罪とも言えます。それを一身に引き受けてくれるのが機械です。イエスの贖罪でもわら人形でもなく、コンピュータという箱が犠牲や悪役を負うことによって、ネガティブ感情の浄化が行われているような現象を今回感じました。プロ棋士の山城先生は「囲碁の本質は楽しむこと。AIのおかげで囲碁のレベルが上がることを期待しています。」とTBSニュースでおっしゃっていました。よく考えるとそこに敵はおりません。
人類が連帯し、勝負や競争、欲望に関わるネガティブ感情を浄化して、人類生存のため、幸福のために調和することができるとしたら、人工知能はバラ色の未来を創ることでしょう。ただし、負の感情の露呈は一過性の必須条件として許容できるのか? が問われます。そんな愛と慈悲の視点で、AI(人工知能)に関わる人々を温かく見守っていきましょう。
言い過ぎ御免なさい。