2015年06月03日

コンピュータ囲碁対局観戦記(前編)

−人工知能学会全国大会2015における 下坂美織二段 対 Zen 対局−
日本棋院札幌南支部長 公認審判員 岩本欣也(工学修士)

 2015年5月31日(日)、はこだて未来大学においてコンピュータ囲碁対局イベントが開催されました。

 対局したのは帯広出身で函館白百合高校卒の下坂美織二段と、昨年までコンピュータ囲碁チャンピオンだったZen (開発代表者加藤英樹氏)、解説は小林覚九段でした。このイベントは一般囲碁ファン向けのものですが、一方で人工知能学会全国大会における学術界からのチャレンジでもあったわけです。会場の大学体育館には、函館地域の囲碁ファンとコンピュータ関係者合わせて200名程度が観戦に集まりました。結果としては、かなりハラハラさせてから人間側が勝利したわけで、イベントとしては成功を収めたと言えるでしょう。

 事前に非公開で開催された基調講演で松原仁会長が「人工知能は世の中をどう変えうるか?」というテーマで、チェスや将棋と人工知能の変遷を語られました。コンピュータチェス、ディープ・ブルーが世界チャンピオン、カスパロフを破ったのは1997年のことで、現在ではノートパソコン程度の容量があれば世界チャンピオンに勝てるソフトができており、さらにはスマホソフトでも勝てるレベルまで達しているとのことでした。しかし一方、人間のチェス世界チャンピオン戦は今でも活況を呈し、世界の現在のチェス人口は約7億人(日本では約2万人)と国際化とともに増える傾向にあるようで、人間が機械に敗れることは負の影響はなく、むしろ、自転車、バイク、自動車が100m競争で人間を負かしてきたような文明の一過程に過ぎないということです。またコンピュータ将棋は、ここ数年でプロに匹敵するレベルに達しているとの報告もありました。一方コンピュータ囲碁については、現状レベルではプロに三子でも厳しいですが、将棋と同じようにブレークスルー(障壁突破)技術が出てくることが想定され、10年から15年でプロレベルに達するだろうとのことでした。

 この全国大会のセッションや公開討論のテーマを見てみますと、現状の人工知能(AI)がどこまで発達していて、将来何を目指しているのか、その問題点は何か?を垣間見ることができます。「認知科学とAIの再会−認知科学会とのコラボレーションセッション」、「公開討論・人工知能学会倫理委員会」の二つは重要な今後のテーマです。

 囲碁イベントで会場から、「人間が楽しんでいるものをわざわざ機械でやる必要がなぜあるのか?」という当を得た質問がありました。会場では専門的になり長くなるのでお答えしませんでしたが、ひとつにはコンピュータプログラムの理論は幅広い応用範囲があり、ある目的で開発されたアルゴリズムを別の目的で試みるとさらに進歩するという視点があります。コンピュータ囲碁を格段に強くさせたモンテカルロ法というプログラミング手法は、本来は量子力学における中性子の動きをシミュレートする近似手法として開発されてきたものです。身近には円周率πの近似計算にはモンテカルロ法が適します。ですから何も囲碁将棋に勝つことが目的で学者たちがプログミング理論開発をしているわけではなくて、彼らは技術開発のために応用しているに過ぎないということです。

 もうひとつには、近未来の人間と人工知能の関わりについて想定されることをゲームから始めることで社会リスクを低減する効果があります。現在ではカーリング、バスケットボール、サッカーなどゲーム性のあるスポーツでも人工知能は応用されています。「それじゃあ、囲碁将棋、スポーツを実験台に使っているのか?」という問いも尤もなものです。しかしながら、これが自動車の自動運転技術であればどうでしょう。ひとつでも事故が起きてしまえば、もはや人工知能活用への社会的理解を得ることは不可能になってしまいます。その技術によって年間交通事故死が半減し交通の安全性を格段に高めるものだとしても、たった一回のプログラムミスを出してしまえば、人工知能開発は途絶えてしまうことでしょう。医療への応用もわずかなミスによって人命にかかわります。そういう点ではゲームや娯楽から応用するのは社会的リスクを相対的に低くする、少なくとも人工知能の認知や理解が進むという考え方が学術側にはあるようです。それが正しいかどうかまでは私にはわかりませんが、知能ゲーム界、スポーツ界への応用においても、倫理規定を策定することはとても重要であると考えております。特に棋士や選手の戦略の癖やミスをも評価関数にするような、特定の競技者をターゲットとするラーニングタイプのプログラムの開発は、プログラマーと競技者との壮絶な死闘を誘発しますので、要注意です。ゲーム応用に汎用性があることが基本原則だと考えます。さらに加えて囲碁界から物申すならば、布石理論、定石手合い割理論、石の筋理論、死活判定、ヨセ計算などに活用できるのであれば、良好な関係が保たれ、さらには共同研究すら可能になることでしょう。人工知能は思考のための道具であるという原則に立つならば、どの業界でも歓迎されることでしょう。

 あるいはよく言われるのは、人工知能が代替することによって消滅する職業の話があります。英国オックスフォード大学で人工知能の研究を行うマイケル・A・オズボーン准教授の弁によりますと、「コンピューターの技術革新がすさまじい勢いで進む中で、これまで人間にしかできないと思われていた仕事がロボットなどの機械に代わられようとしています。たとえば、『Google Car』に代表されるような無人で走る自動運転車は、これから世界中に行き渡ります。そうなれば、タクシーやトラックの運転手は仕事を失うのです。これはほんの一例で、機械によって代わられる人間の仕事は非常に多岐にわたります。米国労働省のデータに基づいて、702の職種が今後どれだけコンピューター技術によって自動化されるかを分析しました。その結果、今後10〜20年程度で、米国の総雇用者の約47%の仕事が自動化されるリスクが高いという結論に至ったのです。」というショッキングな近未来予測がなされています。これは新たな産業革命と言っていいでしょう。もう一つは今後50年以内に訪れると予測されるシンギュラリティ(技術特異点)問題があります。シンギュラリティとは、未来研究において、人類の技術開発の歴史から推測して得られる未来のモデルの正確かつ信頼できる限界(「事象の地平面」)を指します。「強い人工知能」や人間の知能増幅が可能となったときが技術的特異点になると考えられています。未来予測学者たちは、特異点の後では科学技術の進歩を支配するのは人類ではなく強い人工知能やポストヒューマンとなり、従って人類の過去の傾向に基づいた変化の予測モデルは通用しなくなると考えています。

 果たして人工知能によってバラ色の未来が来るのかどうか? こういう議論は最近始まりましたが、現在はアメリカが主導し、日本でも産業総合研究所を中心に技術拠点作りが着々と進められております。日本人の発想からしますと、同じ技術も使いようによって人の役に立ちますし、使い方を誤ると人を害することになります。今回の人工知能ブームは三度目だそうです。一度目はコンピュータが登場した戦後間もなくの時代、次は自ら考える第五世代コンピュータが登場した20世紀末の時代です。過去二度のブームがなぜ衰退に至ったかを考えますと、今回の三度目のブームの見極めに役立ちます。一度目については、1965年に機械翻訳はダメであるというレポートが出て、それからしばらく冬の時代になります。そのレポートが指摘したセンセーショナルな例は「肉体はいつか滅びるが精神は永遠」という趣旨の聖書の一節を、英語からロシア語に機械翻訳し、それを再び英語に機械翻訳したら「ウォッカは美味しいが肉は腐る」になった、と。つまり「精神」が「スピリッツ(蒸留酒)」に変わってしまったわけです。これはキリスト教文化圏ではかなりのインパクトで、たちまち予算が削られ、研究費が捻出できず、機械翻訳が主流だったAIの研究は一挙に縮小しました。二度目については1970年代後半から80年代にかけて、「エキスパートシステム」の開発によります。医療で特定分野の病気の患者のデータをコンピューターに入力すると治療法と薬の処方箋を教えてくれるシステムの方が、新米の医者よりも診断成績が良かったのです。これは有望で、生産現場などビジネスにも応用できそうだと、日本にも潮流が波及し、大半の電機メーカーが人工知能の部署を新設しました。当時の通産省は550億円を投じて「第五世代コンピューター」プロジェクトを立ち上げ、「自ら考えるコンピューター」をキャッチフレーズに多くの企業を巻き込んだ一大ブームになったのです。しかしエキスパートシステムも第五世代コンピュータも、一言でいえば期待外れでした。コンピューターに特定の知識を教えることはできても、人間が意識もせずに持っている常識をわきまえさせることが困難だったからです。よく言われたジョークですが、41度の高熱がある患者さんをどうすればよいかと医療エキスパートシステムに聞くと、二通りの答えが返ってくる。一つは「解熱剤を飲ませる」。これは正解。ところがもう一つは「殺す」。死ねば体温は気温と同じになります。さすがに当時のエキスパートシステムはそこまで愚かではありませんでしたが、要は、コンピューターは「体温を下げる」方法を知識として持っていても、命を救うのが医療行為という大前提の常識を持たない、ということなのです。しかし、その手の常識を数え上げていけばきりがなく、すべてをコンピューターに入れるのは無理なことが、1980年代後半から1990年代にかけて分かりました。こうして2回目のブームも去ります。(以上、松原仁教授著作より抜粋)

 その後に生命科学が発展してディープラーニングコンピュータが話題となり、今回の三次ブームを迎えます。その間に生命倫理の問題が大きくクローズアップされるようになりました。人間クローン技術が神への冒涜となってコンピュータによるゲノム研究応用に規制がかかるようになりました。キリスト教では動物の生命倫理には甘いですが人間に関わる生命倫理には宗教上越えてはいけない一線があります。今回は人類福祉に寄与しようとする熱意はありますが、最後は宗教倫理の限界に到ることが予想されます。さて仏教国、神道国の日本では哲学的にどうなんでしょう? 仏教として考えるならば「色即是空」です。科学は進歩しているのではなくて変化しているに過ぎないということであり、人間の関係性の因果の中にあるということです。ここでは性悪説については省略します。なぜかといいますと、キリスト教の原罪や仏教の煩悩の話は無尽蔵の因縁の中にあり、きりが無くなるからです。

 さて、肝心の棋譜検討とコンピュータプログラミング検討については、それぞれの専門家に任せた方が宜しいのですが、問題なのはSE業界とプロ棋士業界で共通する専門用語がまだ確立していないということです。あるいはどちらも極めた人はまだ少ないということです。ですので、私なりの知識の範囲で両サイドに参考になるような棋譜検討を試みたいと思います。

(後編に続く)

                             
posted by きんちゃんブログ at 21:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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