2017年11月13日

高野山行中記 序 −平凡に生きたい− その2 高野山行中記 序 高野山行中記 序 −平凡に生きたい−その2

高野山行中記 序
−平凡に生きたい− その2


 今の世間を見渡すに、若いにも関わらず病気がちだったり、不平不満不安を世に訴え、社会から逃避している知人の姿はよく目にする一方で、能力のある若い優秀人たちは企業競争、組織内闘争に巻き込まれて多忙で自分を顧みる時間も取れない姿もよく目にしますし、収入もよく安定した職業についている方々は世の乱れを静観しつつ病気にならないようにささやかに目立たず暮らしている姿もよく目にします。


 「自分だけが困っている。」、「自分だけが多忙だ。」という声もよく聞きますが、世間は普通の人で成り立っていると錯覚しているようです。どの人もそれぞれに病気を持っていたり忙しかったり貧しかったり寂しかったりしています。世間は普通と思うのはもう古い時代になっているのかもしれません。かつては日本社会に世間教という生活常識がありましたが、今は「普通の人」を探すことの方が大変です。普通でないから普通に憧れる時代になっている。という言い方もできるでしょうが、であるならば平凡に生きましょう! 


 平凡な生き方はそこいら中の路傍に落ちている石のようです。見た目にはつまらないと見えてしまう石もちょっと拾ってみますとそこに宝石が隠れているものです。要は見分ける目、密教眼が大切なのです。このことはお大師さまが『般若心経秘密鍵』で「医王の目には途(みち)に触れてみな薬なり。」とおっしゃっています。ごくごく平凡な日常の中で近隣愛や家族愛が育まれていくのがとても良いですね。戦後に流行った懐かしい遊びやお菓子やお店や家電製品、そしてあの街並み。1964年東京オリンピックの年に私は小学校1年生でしたが、あの頃を思い出すと涙腺が緩みます。その8年後に札幌オリンピックが開催されました。このような育ちだからこそ、「平凡に生きたい!」という現代人の心の叫びが私には聞こえてきます。

続くー

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高野山行中記 序 −平凡に生きたい− その1

高野山行中記 序
−平凡に生きたい− その1

 私の亡き母の口癖は「平凡に生きなさい。」でした。非凡さで周囲を驚かせた幼少であったのでしょうが、天命を知る世代になりますと変わり者の人生で終わってしまうのではないかという神仏への怖れが起こり、母に申し訳ない気持ちでいっぱいになります。亡くなる間際に私の瞳をじっと見つめ、「きんちゃん、宜しく頼みますよ。」と呟いた言葉には、父母が歩んだ人生のように、平凡な職業につき家庭を持ち子育てをして、ごくごくありきたりの慎ましい人生を送りなさい、祖父母や父母が築いてきた家庭を継承しなさい、という最期の愛情が篭っていました。あの母の瞳を思い出すたびに派手な人生を自省する毎日でございます。

 この本の内容は平凡な経験談を語る意図であり、読者の皆様のそれぞれの人生がつつがなく平凡ながら幸福につつまれた世界にオンリーワンの貴重なものであって欲しいとの思いから、私の高野山での体験をごくごく普通の俗人の視点から書いてみたものです。そうです。今の日本社会で最も大切な生き方、それは「ごくごく普通の生活」、「平凡な生活」だと痛感しております。

 高野山で修行する僧侶たちはスーパーマンのように法力を使いこなし、体力、知力、人脈力、あらゆるものに優れた特異な人たちであるとの誤解を解くために、あえて体験談の出版に踏み切ったと言っていいでしょう。そこで出会った人々も親がいて恋人や妻がいて子供がいる普通の家庭人ですし、人と人の感情のやりとりの中で生きているのです。

続く−

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