2017年02月02日

小説『幻庵』上巻 読中感想

小説『幻庵』上巻 読中感想
現代日本文化の源流/江戸時代の家元制度の追体験記

 百田尚樹の小説『幻庵』は、「週刊文春」2015年1月1・8号から2016年11月10日号まで連載したものに加筆した作品である。囲碁ファンにとってはたまらない江戸時代囲碁界の追体験ドキュメンタリーと言ってよいし、現代日本文化の源流として、家元制度とは本来どういうものであったかを知るには絶妙の教養書である。

 何より囲碁対局の描写が棋譜や解説を交えて丁寧であり、さながら対局中継を見ているかのようである。膨大な量に上るこの時代の対局棋譜と解説書(幻庵著『囲碁妙伝』、丈和著『国技観光』、『坐隠談叢』等)を百田が詳細に調査し、プロ棋士に取材したコメントもふんだんに記載されている。この時代の日本囲碁のレベルは発祥の地とされる中国を遥かに凌駕しており、囲碁は寺小屋(義務教育)の教科であり、国技だったのである。

 上巻では、幻庵の師匠服部因淑と丈和の師匠元丈の全盛期の物語から始まり、やがて入門してくる天才少年吉之助(後の幻庵)と遅咲きの松之助(後の丈和)の生い立ちやライバルたち(奥貫智策、桜井知達ら)との葛藤が描かれ、両人がそれぞれ井上家、本因坊家の跡目を相続して御城碁に出仕し、初対戦するまでのストーリーが展開されていく。日本囲碁史には好勝負を演じたライバル関係の碁打ちは数多くいるが、幻庵と丈和ほど、闘志と敵意をむき出しにして戦った二人はいない。

 江戸時代の碁と現代の碁が決定的に違うのは、持ち時間である。家元の碁打ちたちは碁を芸とみなしていたから、「時間」に制約をつけるようなことはしなかった。正確な時計がなかった事情もある。だから難しい局面では、いくらでも考えることが許された。現代のトップ棋士たちが江戸時代の高手の碁を見て、「とてもこんな碁は打てない」と嘆息することがあるのは、そのためである。特に自分の人生を賭けた一局、家の名誉を賭けた一局では、負けたくない一心で考えに考えることがよくあり、打ち掛けにして食事を取ったり、翌日以降に持ち越すことがよくあった。

 上巻での最大の天王山は、文化十二年(1815年)1月8日、稲垣有無翁宅で打たれた葛野丈和と服部立徹(後の幻庵)の一局である。著者の百田は、この碁を二人の明暗を分けた大試合であったと評する。丈和が負ければ本因坊家跡目の道が途絶え、本因坊家の跡目として立徹(後の幻庵)養子入りが最有力となり、賭け碁打ち(現代のホームレス)に陥落するかまだ踏みとどまるかという人生最大のピンチのカド番であった。序盤に失敗した丈和は考えに考え抜いてチャンスを待つ。もう人生のトドメを刺されるのを待つしかない形勢であったが、ここで立徹の油断により大失着が出てしまう。立徹自著『囲碁妙伝』では、「今川義元の油断に彷彿たりというべきか。笑うべし。笑うべし。」とある。まさに桶狭間である。この碁に大逆転勝ちを収めた丈和は、なんとか持ちこたえてやがて立徹に勝ち越し、本因坊家跡目の許可を得るのである。そして天才立徹には井上家養子入り跡目相続の話が舞い込む。こうして両名とも家元となって、初めて御城碁に出仕する。ここで上巻は終わるが、ここからが二人の死闘の始まりなのである。

(下巻に続く)


幻庵表紙.jpg
posted by きんちゃんブログ at 22:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする