2016年11月05日

日常に感ずる未来図

日常に感ずる未来縮図

新聞の未来

次に節減対象になったのは、読売新聞の配達です。道新と日経は実家で配達を頼んでいるのでタダで夕方読んでいます。朝のベッドで新聞紙を広げて読むゆとりは私の生活では欠かせない習慣だったのですが、最近はカード決済で止めたり再開したりすることが容易になり、毎月約4000円の経費削減のため辞めてみました。こうして体験することになったタブレットニュースを読む生活は、紙を読むよりもはるかに情報の質と量に優れていることを知ってしまいました。今まで新聞紙派だった私としては驚愕の至りです。

タブレットでも読売新聞記事の簡略版は読めますし、何より主要新聞各社の記事を読者の興味に合わせて見出しを並べて一覧できることは素晴らしい! 情報の詳細が落ちるかと思いきや、逆でした。多数の新聞簡略版を並べて読む方が一社の詳細版よりはるかに情報の詳細度が深まるのです。これは新聞各社に競争原理が働いているためだと思います。各紙は他社を抜くためにある特定ネタのネット特集をしていることが多く、そこだけ食いちぎって多数新聞を読めば良いのです。産経の右ネタ特集を読み、朝日の左ネタ特集を読めば情報量は一社詳細読みよりも深まりますし、何よりも視野が広がります。タブレットニュース読みに慣れた今、「現代の新聞紙は意見が多くて情報が少ない。」ことに気付きます。意見であるならば、多数紙を比較するのが良いですし、タブレットで専門家のブログを読んだりするとさらに考えが深まります。時代に応じてニュース配信アプリも優れたものが出てきています。この流れは自然現象と言うしかありません。止まらないでしょう。


スポーツ紙も然りです。ゴルフの松山の記事や日本ハムの記事にしても、多数紙をタブレットで比較読みすることでより深く広い情報を入手することができるのです。


さて、当の読売新聞販売店ですが、最初はあっさりと電話で承知してくれましたが、後日、担当配達員の若い人が携帯に電話してきて、「辞めてもいいから、あと一週間だけ配達させてください。10月の統計値が支社に報告されるために困るんです。」と遺留を迫ってきました。読売の配達を中止することが如何に困難かは過去に経験済みですが、これからどう遺留してくることやら、読売新聞をわきに置いて、タブレットニュースを読み漁る生活に慣れた私は、もう紙に戻ることはあり得ません。経費の問題というよりは、生活の質の問題です。

読売ばかり血祭りに挙げては思想的偏向と取られるので、道新についてもたっぷりと触れておきましょう。基本的に紙離れはどこの新聞社も同じです。先日道新販売店長さんと地域の会合で隣席して、紙離れの問題や道新偏向報道批判についてお話しする機会がありました。ここ5年で5000部から4000部に販売部数が落ちており、特に若い世代の紙離れは深刻だそうです。若い世代が読まないとなると、その世代向けのチラシ広告も減りますので、販売店にとってはダブルパンチとなっているそうです。その上に記事の偏向批判は販売店にクレームとしてやってくるようです。じゃあ右寄りにスタンス変えると売れるのか? というとそうとも言えないでしょうね。記事に怒っていても、新聞派の人は道新を買って読みますからね。私も時々頭に来るけど、道新は紙で読んでいます(払っているのは兄ですけどね)。いつも同じことを言いますが、政治欄を抜いた5ページ目以降のローカル情報は地方紙にどこもカナワナイです。また、よく考えてみますと、偏向報道批判というものは新聞を読んでいるからこそ起きる現象であって、元から読んでいなければ記事批判は起きませんからね。

販売店長さんが「道新記事のどんなところが腹に立ちますか?」と尋ねられたので、簡略にお答えしました。「感情論が多すぎて、科学的情報を軽んじていること。客観的科学的情報量が少ないこと。突出した偏向事例は、原発とAI(人工知能)です。」と。道新が社是として反対でも賛成でもいいのです。その根拠となる客観的情報、科学的情報が豊富であれば、意見が違っても読みたくなるものです。私が道新を田舎新聞だと感じるのは科学に関わる情報不足につきます。読者が科学嫌い、理系嫌いだから記者と記事もそうなるのでしょうけど。

文句ばかり言ってもしょうがないので、じゃあ、新聞業界の未来はどうなるのでしょうか? この話題となりますと、どの新聞社の人とでも、どこの販売店長さんとでも盛り上がります。タブレット配信がここまで進んでも紙で読みたい人はある程度は残ると思いますが、比率はどんどん下がることは確実です。アメリカのニューヨークタイムズを紙で読んでいる人は百万人を切っているそうですが、ネット読者となりますと数千万人いるそうです。となりますと、記事を作る専門会社と、それを印刷する会社、紙を配達する会社、ネット配信する会社、それぞれが分かれるのではないでしょうか? それぞれが随意に契約を結んでいく社会システムに変わるんじゃないでしょうか? たとえば、ある販売店では全紙を配達するとか? 他のフリッパーのような地域情報誌やさらには書籍なども含めて配達契約を結ぶ物流会社となりうるのが次世代ではないでしょうか。記事作成会社も専門分野ごとに下請け群ができるかもしれません。あるいは印刷会社も多数新聞の受注を一手に受ける巨大装置企業になるかもしれません。記事を書く記者がどう食べていくか? 記事を編集する人(これが新聞社の核の役割)と配信する人(ネット、紙を含めて)との随意契約になるやもしれません。私が考えるまでもなく、すでにそういう現象は大手新聞社で始まっていますね。

ただ、そうなる未来では困る現象も多々あります。たとえば新聞社スポンサーの問題。囲碁タイトル戦は新聞社ごとに棋戦があってそれぞれに多額のスポンサー料を貰っていますが、これは多数紙の競争原理に基づくもので成り立ちますから、記事専門会社となると一社独占になって、タイトル数が減り囲碁界が困ってしまうかもしれませんね。逆に朝日が独占している高校野球などは、スポンサーが大きくなりいいかもしれません。これらスポンサー問題まで含めると、新聞社再編は複雑怪奇です。電力会社再編どころではない想定不能状態になります。JRとローカル線や自動車バスなどの交通体系もIoT再編が起こるのでしょう。私の基本スタンスは自然現象を前にして、人間があれくれ画策する恣意は微力でとても太刀打ちできない、ということです。なるようにしかなりません。

書籍についても類似しますが、新聞とはちょっと違うので別の機会にじっくりと考えてみましょう。


この手の話題はたっぷりとありますので、続きを楽しみにして下さい。テレビの将来、光かwifiか? 交通とIoT、タブレット授業やタブレット会計、医療診断、訴訟などの事務系分野・・・・。 未来を夢想することって楽しいですね〜  云々




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日常に感ずる未来縮図

日常に感ずる未来縮図

久しぶりにエッセイを書きます。最近は経費削減に血眼になっています。今年秋から売り上げが減って苦しくなったためですが、一方で、気付かないうちに不要な支出が増えている事項がたくさんあるためです。たとえばタブレットを買ったら光フレッツ契約が不要になったとか、新聞を紙で読む必要がなくなったとか、時代変化に対応して経費を削減していなかった放漫経営を見直しているということです。零細企業では経費を削ることは売り上げを増やすのと同じ効果があります。

私の経営の特徴は、通信と車両にかかる費用が膨れる傾向があるのと、仕事と関係の薄い付き合い会合が多く(同窓会、宗教関係、地域関係他)、費用が膨れる傾向があります。この程度の年会費であれば付き合ってよ、と言われて義理で入っている諸々の会の年会費だけ合計すると年間28万円支払っています。これは個人名義分ですからね。さらに、それぞれの会には会合があって、その都度食事代や会費、交通費がかかります。私は政治家ではありません。勘違いでしないで欲しいですね。また慈善事業であるならば、仕事で顧客を満足させることこそが最大の慈善事業だと思っております。仕事の質を上げることこそが最大の社会貢献なのです。
この機会に、もう活動していない会とか趣味とか、使用頻度が減った機器などのチェックの好機だとプラス思考に考えて、ビシバシと解約を進めています。ただ付き合いの年会費は7万円削減が限界ですね。お人善しは何もしない一生を送る、とは私のことです。

あ、このエッセイは解約の言い訳ではありません。「使わないから。」「お金がないから。」という理由に情状酌量の余地はありませんし、遺留してきたのは読売新聞だけですね。(笑)もちろん冷酷に解約しました。と書くと思想絡みと勘違いされる方がいるかもしれませんが、そういうことを書きたいのではありません。新聞を紙で読む時代が私の中で終わったということを言いたいわけです。もっと言いますと、時代変化というものは恣意的にどうのこうのしようとしても太刀打ちできない自然の摂理のようなパワーがあって、私たち一人ひとりの人間にできるのは、その先に来るべき新しい未来をプラス思考で創造してゆくことかな、ということで。

音楽配信、映画配信の未来

まず最初に節減対象となったのはUSEN(有線放送音楽配信)契約でした。これは亡き母と札幌支店長の古い縁故から始まった義理があって、なかなか解約できないでいたのですが、この際に思い切って解約しました。音楽はレコードからCDを買って聴く時代、ブックオフで買う時代、CDレンタルの時代へ変わり、有線放送で聴く時代からタブレット端末配信で聴く時代に変わっていることを最近感じていました。AWA、Sptify、Line Musicなどを今では常用しています。はっきり言って、あれだけチャンネル数の多いUSENですら、曲数不足なのです。気付いてみると聴くことが皆無になっていたのです。残るは亡き母の義理だけという状況だったので、思い切って毎月6000円ほどの支出削減に踏み切りました。USENの契約担当者のお話では、会員向けタブレットアプリ配信事業も始めたばかりだそうです。まだ、会員以外の契約ができないといいますか、タブレット配信自体がUSEN(線での配信)というシステムを否定するビジネスモデルなので、今後どういう生き残りを図るのか? あるいは淘汰される宿命にあるのか? 未来縮図の代表として音楽配信業界を注視しております。類似するのは映画配信ですね。今では、映画館で映画を見るのは音楽をコンサートホールで聴くような娯楽と言えます。映画をネット配信で観る次世代は、レンタルビデオ屋さんすらも生き残れないかもしれません。
(続く)

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