2016年03月16日

囲碁の歴史についての雑学

人工知能に凌駕されるこれからの囲碁教師は、お笑い(健康法)と歴史(文化教養)で生き残ろうと思っております。

囲碁の発祥した年代と場所については、遺跡と文献からすると、中国において紀元前1000年〜2000年頃(殷王朝時代)であろうという説が主流になっています。殷墟発掘の甲骨文字の中に囲碁を表す文字(「其」の下に「木」)が残っております。囲碁を表す漢字は、「其」と「木」の組み合わせ(上下が最初で後に左右)から始まり、やがて「其」と「石」の組み合わせとなりました。一方将棋は元々は「象棋」という文字でした。

また一方、インド古代文明においては、暦法グリッド図(宿曜経マンダラ)や対局絵図(シバ神と王妃の対局)が残っており、インド発祥説もあります。他にヒマラヤ地域(チベットなど)発祥説もあります。

さらに、中国の伝説時代に堯帝が奕(囲碁のこと)を打った記述があり、紀元前2世紀より古い発祥説もある他、暦法(古代は占星術)としてのグリッド図形利用は古代文明発祥よりもずうっと古いとも考えられています。

ゲームとしての囲碁についての文献で最古のものは「忘憂清楽」で、三国志の時代に呉の孫策が打った棋譜が載っています。また、孔子の「論語」の中にも「奕」(囲碁)の表現があります。囲碁を表す文字は、「棋」、「奕」、「碁」、「爛柯(らんか)」、「烏鷺」、「方円」、「手談」があります。

日本の囲碁の最古の記録は「魏志倭人伝」で、卑弥呼が「棋」(「其」の下に「木」)道具を贈られた下りがあります。奈良時代には、碁盤が伝来して正倉院に現存します。また、吉備真備が遣隋使として隋の皇帝と対局している絵が残されています。平安時代には紫式部、清少納言などの女官が囲碁を打っていた絵が残されています。日本最古の棋譜は鎌倉時代の日蓮上人とその弟子日朗の対局です。戦国時代では、武田信玄や真田親子の棋譜、織田信長御前(本能寺)対局(本因坊算砂)の棋譜が残っています。

江戸時代以降は本因坊家など碁院四家による家元制として幕府寺社奉行管轄で知行を与えられてきましたが、本因坊は日蓮宗寂光寺の門跡(僧侶)のことです。本因坊家は現在の日本棋院(本因坊名跡の継承者)まで継承されており、巣鴨と京都の日蓮宗寺院と墓地において毎年歴代本因坊慰霊祭を行っております。その他詳しくは、日本棋院の歴史ページをご参照ください。

http://www.nihonkiin.or.jp/teach/history/

海外の囲碁事情ですが、ダライラマ法王、ムスタン国王、ブータン国王は囲碁を打ち、ヒマラヤ地域では古代より盛んです。日本訪問の際に対局イベントが企画されたこともあります。アジア以外の西欧諸国、南米、アフリカなどでも近年普及しており、アインシュタインやナッシュ(ノーベル賞受賞数学者)も囲碁を打ちました。現在世界の囲碁人口は約3000万人(日本では400万人)とされています。

云々
posted by きんちゃんブログ at 21:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする