2016年03月12日

アルファ碁との調和

囲碁は調和である

本来は引き分けで終わるゲームに勝敗ができるのはどういうわけでしょうか? そうバランスを崩した手を打った側ということになります。もう一方で、バランスがずれた手を打った相手に対して、正しい咎め方ができなかった側ということになります。双方最善を尽くして引き分けで終わることが果てしなく困難であるがゆえに、双方バランスからずれつつ、間違い争いをしてきたのが人間の打つ囲碁であり、それが人間らしい面白味であるとも言えるのです。


アマチュアから見た囲碁という未開拓ゲーム

プロやトップアマの先生の立場からは、強いというプライド、勝ってこそ囲碁というプライドは人生観において譲れないというブログコメントを多々目にします。所詮相手は機械に過ぎない(機械ゆえの限界がある)ということでそこを乗り越えるのだろうと思います。

私はアマチュアですので囲碁に対するスタンスは、「必勝原理、法則」、すなわち「数理的合理性」という興味です。そこは若干違うことに気付きます。負けることでも何らかの新しい合理性を発見するとうれしいものです。(もちろん勝つことを目標に一局打っていますが。)

Alpha碁は相手に応じて次の手を選択しますが、それは確率的に勝率が相対的に良い手であって必勝手ではありません。その思考パターンに見られるのは、難解な不安定性を避けることです。できるだけ分かりやすい道を選びます。それが終盤に強いゆえんなのでしょう。

そこでよくよく考えてみますと、囲碁というゲームにおいて数理的にはっきり正しいと言える法則があること、あり続けてきたことに気付きます。先に打つ黒が必ず勝つゲームであることと、白黒双方最善を尽くした結果の差の目数は近似的にはわかっていること(6目〜7目くらい)です。

すなわち、一手づつのやり取りにおいては、勝つ手を打つのが囲碁ではなくて、等価値を分け合って盤上6目から7目黒が多い結果への道を双方選択しているのが囲碁であるということです。

この考え方は歴史上の棋聖と言われた名人たちが残しています。呉清源先生は「碁は調和である。」とおっしゃいました。高川秀格先生もそれに近い考え方でした。あるいは武宮先生は「広いところから打つのが囲碁です。」とおっしゃいます。勝つことへの血みどろの修行を乗り越えた境地に囲碁の本質が見えるのだと思います。

すなわち着手のバランスです。どちらか一方にのみ有利な着手という法則はなくて、双方が等分に終わる着手こそが数理的に最も正しい手だということです。Alpha碁の打ちっぷりはこの基本的な法則に立ちもだらせてくれました。

すなわち黒番であれば6目勝ちか7目勝ち、白番であれば6目負けか7負けとなる道を考えるのが数理的に正しいと思います。すなわち引き分けを目指すゲームだということです(引き分けにならないために半目をつけたのです)。ただし、コミが6目か7目かはまだ証明できていません。

云々

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Alpha碁の勝利に関する雑感追記

(1)囲碁内容に関しては、プロ棋士の先生方が様々な戦略を考えてらっしゃるので、アマチュアとしてはほとんど妄想ですが、マネ碁の研究にはもって来い(恋?)の相手です。黒番コミ無しで持碁を目指すので互先では使えませんが、定先ならば初手天元のマネ碁をやってみたいです。白番ですと、いつマネ碁はずしを打って来るかという碁になりますが、あまり客受けしないかもしれませんね。その他、左右マネ碁とか、風車系マネ碁とか、色々とマネ碁の研究をするにはもってこいの機械です。

(2)コウ絡みの複雑形にするには、大きな捨て石を序盤で作っておくことが考えられますが、どうもAlpha碁はそういう形になる前に厚く手入れする棋風のようです。それでも、捨て石を使う碁形はやってみたい相手です。

(3)形を如何に決めない碁形にするか? すなわち手抜き碁形も使ってみたい(使わせてみたい)相手です。こちらから手抜きを仕掛けるのはマネ碁と関係します。




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Alpha碁の勝利に関する雑感

世界トップレベルと評されるイ・セドル九段がコンピュータソフトAlpha碁に2連敗しました。昨日は呆然としていましたが、今日は中休み。3・11東日本大震災物故者慰霊の日ということもあって、色々と考えを整理することができました。あと3局残っておりますので、「人間側が人工知能に追い抜かれた」と結論づけるには早計かもしれませんが、Google側の自信からすると、1勝することすら大変なような気がしております。

少なくとも残るあと3日間は、ディープラーニングプログラムの盲点探し、弱点探しという展開になったことは確かです。「序盤から難解な戦いを仕掛けるべきだ。(序盤にもっと考慮時間を使う。)」、「コウがらみの展開を仕掛けてみるべきだ。」、「李九段が気落ちしないように励まそう。」など、プロ棋士の方々のコメントが目に留まりました。

さて私はアマチュア碁打ちですので棋譜内容についてのコメントはさておき、工学者の立場から今後の近未来予測と個人的願望を以下にまとめてみました。ちょっと気が早いかもしれませんので、あくまで雑感ですが。

(1)これは単に囲碁界だけの衝撃的出来事ではありません。人間の思考をコンピュータソフトが凌駕する現象はあらゆる分野に波及します。金融分析、企業経営分析、臨床医学診断、競技審判、自動車運転などはすでにIT化がある程度進んでいます。さらに人工知能研究開発者たちの論評では、司法判決、芸術創作、文章執筆なども人工知能が行うことができる時代になるそうです。そうなりますと、「人間らしさって何だろう?」という哲学的問いを考えてしまいます。「好き嫌いがあることと間違えること。」ということかな?

(2)文明の利器に対する人間のスタンスとしては、賛否両論が出てくることでしょう。「コンピュータのスイッチをON‐OFFしているのは人間だ。」ということです。しかし、誰かがOFFにしようとしても誰かがONにしていますので、推進する立場の人間にイニシャチブがあると言えます。最後は国際機関(今のところ国連)による政治的判断で規制と監視をしようというOFF側の動きも出てくることもあるでしょうが、国連が全てのコンピュータを監視するのは不可能だという現実もあります。となると、どう共存するかという中庸論が出てくるでしょうし(私はこの共存論者です)、コンピュータ同士の優劣競争が激しくなることも起こり得ます。「倫理は文明をコントロールできるか?」という問いが宗教側から出てくることも起こり得ます。「人間は考える葦である。」というパスカルの言葉の重みを痛感しております。

(3)中庸共存論に立つならば、囲碁界に関しては以下のことが私の個人的願望です。

@コミを確定するのに活用して欲しい。コンピュータ同士をコミ5目半、6目半、7目半で対戦させて勝率を算定してみる。19路盤だけではなくて、13路盤、9路盤でも算定してみる。

A置き石の価値を目数で算定してみる。これも統計分析が可能です。

B布石の定型に関する勝率を算定してみる。中国流とかミニ中国流、三連星とか、シマリ形とか、布石定型ごとにコンピュータ同士を対局させて、布石定型の評価分析が可能になります。

C対局後の検討の際に、別の手を打ったとして、その後コンピュータが打つ変化図を添える。

Dアマチュア指導のためにコンピュータが人間に置かせて対局をする。(プロでも先か二子くらいになるやも…)

以上、すなわちAlpha碁は人間のトップ棋士に勝ったけれども、囲碁の必勝法を解いたわけではありません。ディープラーニングにより人間の脳機能を不完全ながら模擬できたけれども、それは大容量によって確率的により優れた手を打っているに過ぎないということです。たとえば第一手を天元に打つと必ず黒が6目勝つとか、星とか小目とかだと結果はこうなるとか、そういう数理的解明をしているわけではありませんので、統計的確率的に勝率を計算するのに活用して、より良い手法をさらに進化させる手段とすると、人間の対局と共存していけると思います。いずれの日になるかはわかりませんが、囲碁必勝理論を解明したいという人類の夢は尽きません。

云々

posted by きんちゃんブログ at 00:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする